世界のモブと変化への恐怖

いわゆる”モブ”には二種類あるんじゃないかと最近思う。

 

一つには、「存在が描かれるモブ」。その作品世界において、存在していることが何らかの形で示されるようなモブ。例えば学園物で廊下で噂話をしているJK、とか。

 

もう一つは、「存在が描かれないモブ」。これは、例えば学園物の作品世界で、恐らく存在はしているはずなのだけれど描写されることは一切ない、地球の裏側の人。

 

創作作品でエンディングを描いてもらえるのは前者のモブまでがせいぜいじゃないでしょうか。

というのも、最近人生のルートについて考えたりしていまして。

 

私は今までの人生で大きな失敗や挫折をしたことがありません。家庭環境なども平均的な感じで、幸福な方なんだと思います。

大きな失敗がない、というのは、それだけ大きな決断の際に「失敗しない方」を選んできたんです。高校受験も大学受験も、確実にA判定がとれるレベルの中から選んで受験したようなものです。海外留学などの、田舎の一般学生には少々ハードルの高いことも、悩みはしましたが結局行くことはありませんでした。

将来の夢も、色々考えたことがあります。考古学者、小説家、翻訳家、ピアノ調律師、図書館司書、学芸員etc...

色々考えたけれど、今私は大学で、上のこととは一切関係のない勉強をだらだらとやっています。色々考るたびに、将来を不安に思って、私なんかになれるはずがないと諦めて、将来性がないと勝手に決めつけて、易きに流れて行ったのです。少しでも実学的なことが出来なきゃ、って思って、でも専門学校はいやだって言って(専門学校の選択肢が無かったことに関しては私の出身地の影響もあります)。

 

そうやって生きてきて、今、人生詰みだなって感じることが多くなりました。

多分この後、私はしょうもない卒論を書いて無難に大学を卒業して、無難にそこそこの就職をするのだと思います。多分、それが出来るだけ幸せな方だって言われちゃうと思います。

でもこの先にはハッピーエンドどころか、バッドエンドすらないんじゃないかと思えるんです。

 

どこかでルート選択を誤って、結末が作られていない没ルートに入ってしまったような感覚。

 

ここからエンディングが用意されている正規ルートに戻るためには、壁を無理やりぶち破ってしまう必要があるのだけど、そんなことが出来るくらいの行動力や決断力があれば、そもそもこのバグルートには入っていないんです。ぶち破ったその先はバッドエンドなんじゃないかと思うと、それはそれで怖くなってしまうんです。

 

私はずっと、この世界の主要登場人物になりたいと思っていて、でも思うだけで、何にも行動をしてこなかった。そしたら気づけば「存在を描写されることはないモブ」になっていた。元々そうだっただけかも知れない。

 

一度きりの人生、やりたいことは全部やらなきゃ!というタイプの人と、一度きりセーブポイントも無い人生、慎重に選んでトゥルーエンドを見なきゃ!というタイプの人、どちらが優れているかってありますか?よく前者は持ち上げられますが、後者がそんなにダメですか?

多分私は今後も後者の生き方しかできません。慎重に正解を選んだつもりで、後々に小さな選択ミスを積み重ねてきたことに気づく人生を送るんでしょう。

 

それでも自殺してしまおうと思ったことがないのも、やっぱり決断力がないからです。死んだその先が不透明なのが怖い。苦しまずに死ねる保証がないのも怖い。

変化することが怖いんです。大人になりたくなかったのに、気がついたら成人していました。お酒が飲めるのと年齢制限に引っかかることが無いのはいいかな。でも化粧は出来ないし、大人っぽい格好がわからなくて(というか年齢ごとに格好を変えなきゃいけない必然性に納得行かなくて)小学生みたいな"くそダサい"格好をしています。

 

こうやって全世界に向けた独り言を書いてしまうのは、世界に少しでも跡を残したい、存在していることが描写されない、モブの僅かな抵抗なのかも知れない。