"推し"感情と"好き"概念

"推し"ってなんだろう。最近の自分の中での議題の一つ。

 

好きなアニメやゲームの話をするとき、「推しは誰?」って聞かれがちだ。そういうとき、私は咄嗟に答えられないことが多い。相手の中での"推し"の定義がわからないからだ。

 

私にとって、推しキャラと好きなキャラはイコールではない。"推し"は"好き"の下位分類の一つに過ぎず、推しが「一番”好き”なキャラ」ではない場合が結構あるのだ。

 

そもそも私の中では「好き」にたくさん分類がある。応援したくなるだとか、格好良さに憧れるとか、かわいさを愛でたくなるとか、どうしてこいつはこうなんだろう…って考察したくなるとか。私の場合、「一番”好き”」になる確率が高いのは多分この一番最後の、「考察したくなる」だ。そのキャラについて延々と考える時間を割いているとき、あぁ、私はこのキャラが好きなんだなぁってものすごく思う。

で、"推し"は一番目の「応援したくなる」感情が強いという印象。例えば人気投票とかがあったときに票を投じたり、アプリゲームのイベントを頑張るかどうかの判断基準になったりするのが"推し"だ。

 

近頃、一概に「好き」というのがもっと細かく言うとどういう感情なんだろう?って考えてみるのがちょっと楽しい。Twitterでこの話題をなんとはなしにつぶやいた時、複数のフォロワーさんがそれぞれの"推し"感情についてつぶやいてくれたが、どれもそれぞれに違っていて面白かった。

 

ほかにもたくさんのみんなの"推し"感情を知りたいところ。