二次創作と三次創作について

Twitterで少し話題になってたので、二次創作と三次創作についてちょっと考えてました。

前提として、私は一次創作で小説を書くのと、二次創作でも小説を書きます。どちらもインターネット上での公開が主で、オフ活動はしていません。こんな文章力なのでお察しですが、1つでも感想をいただけるとそれだけで当分幸せな気分になる人です。

 

感想と「感想として送り付ける三次創作小説」、何が違うの?というのもあるのですが、一番の違いは主語かな?とぼんやり思ったり。

感想って、「私はこう思いました」「私はこう感じました」「私はここに萌えました」なので、あくまで主語は作品を読んだ側なんですよね。でも、三次創作『小説』となってしまうと、主語は読んだ側じゃない気がします。

一枚絵だったり、考察的な感想だとまたいろいろ違うのでしょうが、『小説』という形になってしまっているのも問題かなぁと思ってしまいます。

 

三次創作を二次創作者に直接「感想として」送ったら怒ってしまった、という今回の問題。

「二次創作作品を原作者に送り付けるのはマナー違反」というのは二次創作界隈ではそこそこ市民権を得ている考え方だと思うのですが、今回の話の場合そもそも元ネタ自体が二次創作同人漫画ということで「そもそも一次を無視して勝手に捏造している二次創作の時点で大きな顔はできないのでは?」という意見をよく見かける気がします。

 

実際、二次創作ももちろん創作物の設定を勝手に改変したりしているのですから、大きな顔をできるものではないと思います。ですが、上で書いた通り、基本的には二次創作作品は原作者に送り付けられないと考えられます。

 

ではそもそも、二次(三次)創作作品を送り付けたりすることにより起こる問題には何があるのか。

もし原作者(二次創作者)が考えていた続きの展開と、送り付けられた作品の展開が似ていた場合。そのまま考えていた通りに作品を書けばよい、といわれるかもしれませんが、「私のアイディアは誰でも思いつく安易なものだったのか?」「この送ってきた人は、私の作品を読んだらネタを真似したと考えてしまったりしないだろうか?」「自分で書かれるなんて、私は必要とされていないのかもしれない」結構ネガティブなことは思いついてしまいます。考えすぎかもしれない。うじうじしすぎかもしれないです。でもそう考えてしまう人、私以外にもいるんじゃないかなと思います。

展開がまったく違った場合には、「これが求められているのだろうか」とか、そういうことも考えてしまいます。気にするなって言われたって、一度触れてしまった者を完全に脳内から消すのは難しいかもしれません。

 

ですが、「むしろうれしい」という意見も非常にたくさん見かけます。創作活動と読み手との交流のスタンスは人それぞれです、送り付ける前に一言、「書いてみたいのですが」「つい興奮して書いてしまいました」とだけお伝えしたら、多分送り付けてほしくない人は断りやすくなるし、送ってほしい人はぜひ読ませてください、とお願いしやすくなると思います。

 

ここまでは直接送られた場合の話ですが、「そもそも三次創作するのにも許可とらなきゃなの?」という話についても。(今回の案件は送り付けたことが一番の問題だったと思うので少し論点がずれてしまうのですが)

万一にも三次創作が何かしら、一次レベルの関係者に迷惑をかけるようなことしてしまった場合、二次創作者はどのような立場にならねばならないのでしょう? 二次創作はグレーゾーン、よく聞く言葉です。グレーゾーンだからこそ、自己責任で、慎ましやかに活動していきたいと思っている身としては、自分の手から離れた場所で三次創作をされてしまうことを考えると、ひやっとしてしまいます。

 

 

二次創作含めて、ファン活動には色々なスタンスがあると思います。ジャンル毎の傾向とか雰囲気とかも。その中でうまく活動していくためには、「自分がされて嫌なことはやらない」だけでは多分ダメで、もうちょっと相手に寄り添って考えていく必要があるのかな。