病気になりたい知恵袋の話

某知恵袋を見ていて、「病気になりたい」という思いを抱えている、おそらく中高生の書き込みを見つけた。あぁ、なんだかわかるなぁ、って思いました。

 

私も「病気になりたい」と思うときがある。多分その感情のうちには悲劇のヒロインのようになりたいというのもちょっぴり入っているのだけど、それ以上に、そこに求めているのは現状のどうしようもなさを一旦休むための客観的要因だったり、する。

 

私は昨年度末、海外に行かなければならなくなった。申し込んだのは自分なのだが、ほとんど勢いだけで行動してしまって、時がたてばたつほど行きたくなくなってめちゃくちゃしんどくなった。このブログの2月頃の記事はここで追い詰められて書いたモノだ。

海外行を決行するのがどうしても正解とは思えなくて、気持ちが追いつかなくて、出発当日まで荷詰めに着手できなくて、夜中に泣きながら、それでも荷詰めをした。どうしても行きたくなかった。でも今更行かないなんて言うと、周囲の人に多大な迷惑をかけるのをわかっていて、とてもじゃないけど言い出せなかった。止まりたいのに止まれない。このまま進んじゃダメだってわかってるのに、もう自分ひとりじゃ止まれなかった。本当に気分はブレーキの壊れたジェットコースターだった。

 

そういうとき脳裏によぎったのは「病気になりたい」だった。それも例えばインフルエンザみたいな、確実に客観的に飛行機に乗っちゃいけないやつ。自分じゃもう止まれなかったから、客観的に誰かに止められたかった。でもついうっかりインフルエンザ予防接種なんてやっちゃってて、周囲でめちゃくちゃはやってたのに罹らなかった。その事実で余計にしんどくなって、さすがにこれはちょっと尋常な精神状態ではない気がして某相談ダイヤルに夜通しかけ続けた。一度もつながることはなかった。

 

結局私は海外にそのまま行った。準備はボロボロで、予約していた高速バスにはチケットを紛失して乗れなかったし、出発当日になってキャリーバッグが壊れているのに気づいて空港で買い換えるアクロバットをした。海外のなれない土地ではやっぱり失敗をしたけれど、出会う人がことごとくいい人ぞろいで、余計に自分の不甲斐なさで泣きたくなった。私は今その海外行をもとに卒業論文を書いているが、進捗がよろしくない。こんなものを見せるのは申し訳なさ過ぎる。でもどうしても頑張れなくてしんどい、今もまた病気になりたい。卒業論文を書かなくていい客観的に納得される理由がほしい。「それはしょうがないね」って、言われたいんだと思う。

 

つまるところ責任を負いたくないのかも知れない。何かの決断に対し、自分の意思を根拠にするのが怖いのかも知れない。私は常に外的要因に責任転嫁できる言い訳を探している。

 

「病気になりたい」は多分そんなに珍しい思考じゃないよ。どうしようもなくしんどくなる世の中だよね。生まれたくて生まれたのでもないのにね。私は未だこの「病気になりたい」をポジティブに変えていく道筋を見つけられていないからきっと求めているだろう回答を与えてあげられないけど、「自分がなぜ病気になりたいのか」を考えてみると何かしら見えてくるかもな、とは思います。

…と、知恵袋を読んで思ったのでした。