「解釈違い」という言葉について

某女性向けジャンルのコミカライズを発端にTwitterを賑わせた「公式が解釈違い」案件。

私は件のジャンルはかなりライトに、ドラマパート・バトル曲・+数曲を履修していただけで、コミカライズは話題になってから試し読み部分だけ読みました。女性向けジャンルの大手はアプリゲームとアニメという印象の昨今でCDコンテンツなのが面白いなぁと思って先行きを楽しみにしていたので、今後外部媒体追わなきゃいけなくなるのはなんだかちょっと残念というか、結局か~と思ってしまった節はちょっとだけある。今後どういう展開をしていくんだろう。

 

某コンテンツについては本当にライト層だったので詳しく語ることはしませんが。ただ、私がここ数年とくに楽しんでいるジャンルも結構「解釈違い!」とか「設定改変!」ってよく炎上するのでなんだか余所のことだと思えなくって色々トレンドのツイートを見たりしてしまいました。その中で考えてみたりしたことをつらつらと。

 

私の今のメインは、基本となる1年を描きながら、時々触れられる過去の因縁が大きく関わってきたり、一度描かれたイベントの裏側を別の視点からもう一度描いたりする群像劇です(これだけで同ジャンル者はある程度特定できてしまうと思うのですが…)。各ストーリーのライター名が公表されており、「メインライター」と「サブライター」という肩書きが明記されています。このメインとサブの間でキャラクターの描き方が違うこと(Aというキャラがサブライターが書くとかわいらしい面を強調し、メインライターが書くと少年っぽい面が強調されたり。これは意識的にやっているようなことがライターのコメント等から見受けられる)が多々あるほか、監修がうまくいっていないのかお互いのストーリーをうまく反映させられていないことがあったり。あまりにもテキスト量が膨大になっているのですり合わせが大変なんだろうなと思うのですが、このライター間の相違によって、結構、作中でのキャラの印象が変わります。

私もこのコンテンツに触れ始めた当初はなかなか飲み込めず、とくにメインライターのノリが好きで始めたのもあって、サブライターについて「解釈違い」という感情がありました。そして、サブライターも公式であるのだから「公式と解釈違いを起こしてしまっている」と。ですが、最近はもう「そういうコンテンツなんだな……」と思って割り切ることにしました。サブライターはサブライター、メインライターはメインライター。そして私はメインライターの方が肌に合うので、肌に合うモノを楽しもう。サブライターのストーリーは悪いわけではないので、楽しめるときは楽しもう。でも、もし合わないときがあっても、なるほどな、とだけ思って割り切ろう。そう考えるとかなり楽になりました。

 

これが私にとっての「解釈違い」であり、その解決方法でした。「Aというキャラが、メインライターの情報からするとかっこいい系のキャラ。そして私はそういうところが好きなのに、サブライターのストーリーではかわいい系のあつかいをされてしまって、ギャップ萌えとは違って違和感を覚える」という、Aというキャラに対するサブライターとの「解釈違い」があったのです。

 

そもそも解釈とは、広辞苑によると「文章や物事の意味を、受け手の側から理解すること。また、それを説明すること」らしい。Aについての公式側の設定資料は、すべてが受け手側に公開されているわけではないので、設定資料を"解釈"することはできない。開示されている設定は、あくまで制作側が作成している設定の一部に過ぎないと思っている。では私は何に対する解釈についてサブライターと「解釈違い」を感じていたのかというと、メインライターのストーリーから読み取れる情報の意味についての理解だ。もしかしたら私の知らない、制作側だけが共有している設定に照らせば正しいのかも知れないけど、メインライターのストーリーでAが言ったある台詞の意味について、サブライターとの解釈が違うな、と感じることが多かったのだ、と気がついた。

 

そして私のジャンルでは、特に過去の因縁に関する描写や初めて絡むキャラ同士の会話に関して「このキャラはこんなこと言わない、こんなキャラじゃ無かった」という意味で「解釈違い」だとか、「設定改変」だとか騒がれることがあります。私はこれが「解釈違い」と言われることに違和感を感じることがありました。なぜなら、それは今まで「描かれていなかった」ことだからです。描かれてこなかった以上、すべての可能性が存在しうるのです。その周辺の描かれている部分などから推察して、ありえそうな可能性を考えることはできますし、そういうことを考えるのは楽しいです。でもそれらはすべて推察に過ぎないのです。制作側が実際に描写を提示してくれない限りは確定され得ません。「BというキャラはCやDにいつも優しい」という描写から、CとDの共通属性などを考えて「Bはこういうキャラに優しいんだな」と考えることは「解釈」、でもそれを、「Bは誰にでも優しい」と過度の一般化をしてしまうと、「BはEには厳しく当たる」という描写が提示されたときに、思ってたのと違う!となっちゃうのかなぁ。

 

Twitterで散々言われてたことだけど、「解釈違い」という言葉、便利に使ってしまうけど、様々な事象を含んでいると思います。もっと細かく、「どういうところが気にくわなかったのか」「どうなってほしかったのか」「違和感を覚えたのはどこか」「そもそも自分の”解釈”は何に対するものだったのか」とか、色々考えてみる必要があるんじゃないかな。

 

本当にまとまりもない深夜テンションで書いてしまったけど、このテーマというか、便利な言葉に関しての定義のすりあわせやそこに内包されているものについて考えるのはとても楽しい。また今度、しっかり考えてみたいかも知れない。