発達障害の診断をもらわないこと

 

もしかしたら発達障害の診断がもらえるかも知れないと、考えることがあります。

私は物心ついたときからとにかく片づけができなくて、一人暮らしの今はゴミ屋敷状態の部屋に住んでいます。計画的に課題をこなせなくて、期限内にレポートを出せずに土下座メールを送ったり、それを避けるために出さないよりはマシとゴミのような未完成品を出したり。人の話聞いてない。報連相ができない。家事ができない。洗濯機、日中に回すの忘れちゃうんです。回しても干すの忘れるし。ゴミ屋敷と計画的に動けないのが相まって、部屋でなくしたことがあるのは爪きり、メガネ、学生証、キャッシュカード、家の鍵etc. 

 

でも、診断を受けにいこうと相談したことがありません。何故って、怖いから。

障害があると診断されることが、ではなく、診断されないことが、です。

 

障害があると診断されたら、何かが変わるって訳でもないんですけど、言い訳ができるじゃないですか。脳みその働きがどうしようもない、だから工夫できるとこは工夫して乗り越えてます、って。

でも診断がもらえなかったら、それって結局ただただ私ができるのにやらないクズで、性格の問題だ、個性だってことじゃないですか。

 

実際、上記の問題、困ってはいるんです。別に好き好んで汚部屋に住んでる訳じゃないし、親に学費払ってもらって奨学金ももらって大学通ってるんだからキチンとしたいし、清潔な服着たいし風呂だって毎日入った方がいいに決まってます。ですが、それって社会生活を全部捨ててしまえばなんにも問題なくないですか?

部屋から一歩もでず一日中寝てれば私がどんなに不衛生でも問題ないし、将来のことなんて考えないならとっとと大学ドロップアウトして引きこもりますよ。

 

さすがにそこまではできませんが、私は適当にいきることにしてきました。

頑張って人並みになろうとするとしんどいので、自分で最低ラインを決めて適当に生きてます。楽です。超健康体で生きてます。友達いないけど。成績悪いけど。部屋は汚すぎて足の踏み場がないけれど。これを書いてる今日はもう3日ほどシャワーを浴びてなくて、洗濯機は3週間くらいかな、回してないし、自炊は半年やってません。そして授業を1コマサボりました。

 

ぼんやりと、明日死んでも悔いはないかな~という思いが常々あります。そこまで熱意を持ってやりたいと思うこと、無いんです。それを探す気も無いです。

たぶんこの人生観がアレ何だと思うんですけど、それはまたべつのエントリーで書くかな。